ヤイセブログ

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鬼滅の刃のあるセリフについて

もし、立場が違ったら鬼になっていたかもしれない、、、

炭治郎が言った言葉だ。この言葉を聞いたときに自然に考えてしまった。
遊郭編から刀鍛冶の里編と続く話を劇場版にしたもので4月からのアニメガ楽しみになった。


「もし立場が違ったら鬼になっていたかもしれない」
考えたもの2つある。

  • もしも立場をが違ったら〇〇になっていたかもしれない
  • 誰しもが鬼になる要素がある
  • 鬼が必ずしも悪いわけじゃない

まず一つ目から、もしも立場をが違ったら〇〇になっていたかもしれないだ

これは誰しもが思ったことがあるだろう、今の職業じゃなかったら、今の学校に進んでなかったら、、、立場が違っていたかも知れないということだ。

自分の話になるが重機の整備士をしている。
転職をして今は新米としてやっている。
もしも整備士をやっていなかったら、、
自分は正直わからない、、、これは学生時代の事を思いだした結果なのだが30歳の自分が学生に戻って何をやる?ってなったったら自分は農業をやりたい。

なぜ農業かというと種を植え芽が出て大きくなりそして収穫を迎えそれを食べる、、そのサイクルの生活に自分は少し憧れている。
それなら家庭菜園をすればいいと思うのだが、学校に行けば、知識を学べるそれによって選択肢が増えると言うことだ。
選択肢が増えれば、自分が何がしたいのか分かる。
無知なら一本道だが、知識があれば多種多様だ
考えてほしい、立場が違ったら何になりたかったかを。

誰しもが鬼になる要素がある。

鬼滅の世界の鬼は生まれた時から鬼になっているわけではなく、鬼の血を飲むことで初めて鬼になる。
鬼の頭領である鬼舞辻無惨も例外ではない。

ではなぜ鬼になってしまうのか、それは人間の心の在り方にあると思う。
例を出して上弦の六堕姫、妓夫太郎について話していこう。
彼らは兄妹であり元は人間であった、兄は醜いが腕っぷしが強く反面妹は美少女であった、兄妹は長所を活かして行きてきた、ある時妓夫太郎が仕事から帰る途中焼かれた妹をみて絶望した。報復だったのだ。堕姫が客の侍の目にカンザシを刺したのだ。
これを罰として生きたまま焼かれたのだ。
妓夫太郎は絶望し、侍とその店の女将を殺して街を歩いていた、妓夫太郎も背後を斬られ妹を抱えて歩くのもやっとで力尽きて倒れた時に現れた鬼に力が欲しいかかと囁かれ兄妹鬼になる。
多少省いたが彼は最後にはこの境遇を呪い世の中に絶望して鬼になった。

人間という生き物多かれ少なかれ絶望や、消失かん、欲に対して敏感であるということ、鬼はそんなココロのスキマを埋めようと鬼になるのではないかと考える。
設定では鬼は老いることも死ぬこともなく力をつけて生きていける
弱点として日の下に歩けないと言うことだ。
そんな事を聞いたら誰でも興味が湧く、人間を食料にしないといけないのだがそこは置いておいて、、、

現代生活を置き換えてみたら鬼は世界人口の多少を占めると思う。
一番に思いついたのが戦争と貧困だ。
絶望と消失感を寄せ集めたような事が戦争だと思う。
ココロのスキマをつくにいたっては鬼立ちも絶好の仲間集めになるだろう。
鬼のなる資格は自分の周りに溢れていて、かついつなってもおかしくないのだから。

どうだろうか、考えを文字にしてみたら文字数が多くなってしまったのかもしれない、だが今更だが鬼滅の刃は話がしっかりしていて見た人の心をグッと世界に引き寄せてしまう。
人気なはずだ。
出来れば最後の話は劇場版でやって欲しいと密かに思う。